研究レポート

「上下、前後、左右、皆然。凡此皆是意、不在外面。」

寺部尚子


寺部尚子さん;

王宗岳の「太極拳論」,武禹襄の「太極拳論」とも、読んだのは初めてで、まだ深くはわからないが、その文の何処をとっても、成程成程とただ頷ける事ばかりだった。

その中で特に今現在、私が練功していて感じている事がこの事ではないかと思われるのが、武禹襄の「太極拳論」の上下、前後、左右、皆然。凡此皆是意、不在外面。である。

十二法を練功する時には、まず姿勢、動作を調え、出来るだけ正しい形をとり、そして意識を内面におき調整する。その状態でバランスがとれているか、偏っている所は無いかもし偏っていたら、その反対の所が足りないので、足らない所に意識をおくと、自然と体の内部が動き、バランスがとれて安定する。

形も最初の形とは、微妙に変わってきて、体は楽に感じられる。
というように、十二法は動きがゆっくりで、同じ動作を繰り返すので、形の調整より意識の調整に重点を置いて練功できる。

表演-よりしかし、太極二十四式を練功する時は、動作に流れがあるため形が刻々と変わり、形の調整のほうに重きをおいてしまいがちで、意識の調整が足りなくなり、形と体の内部が合わない感じがしていた。

そこで、意識を内面に向け、合っていないと感じた時は、足りない所に意識をおくことを心掛けた。

具体的にいうと、単鞭では両手をお腹の前から頭の上へ回転させる時、手が下から上へ伸びていく時、意識も全部、形と一緒に上へ行ってしまうと、体が浮いて不安定になってしまうが、その時意識を足の裏におくと、上下のバランスがとれ体が安定する。

十字単鞭でいえば、前への動作であるので前足に体重がかかり、体を安定させるため前足で頑張っていたのを、後足のほうに意識をおいてみる。すると前後のバランスがとれ、体が安定し楽になる。


表演-だいりで正面を向いた時の形は、鼻先はお臍に向け左膝左足のつま先は一直線であるが、左足がきつく体が無理をしていると感じられたら、意識を右足におく。すると自然に内部が動き、左右のバランスがとれる。

つまり、常に動作の反対側、上といえば下、前といえば後、左といえば右を忘れないように意をおくことにより、バランスがとれ体が楽になる。なお一つの動作をするとき、例えば上への動きが主であっても、意は下へだけではなく、前後左右にも配らなければ全体のバランスはとれない。

意識によってからだの内部が動き、形も変わり、バランスのとれた無理のない形になれば、楽な感じが出てくる。それは自分の体にあったものである。

だから全面的な調整は意にあるといえる。

この事が武禹襄の上記の文の意味する事であると思う。

1998.11.26


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