研究レポート

「太極拳論を学んで」
(王宗岳の『太極拳論』の、実技への応用)

富岡寛子

富岡寛子;

王宗岳の 『太極拳論』 を学ばせて頂いて、「無極静功養生12法」 と 「太極24式」 とを同時に教えて頂いていることが非常に幸運であったと改めて思いました。
『太極拳論』 の中の語句は、今まで薛先生に繰り返し何度も教えていただいたことがザクザクでてくる感じです。先生に、無極静功の立場で判り易く、難解な太極拳論を示して頂いたのだと思います。
私自身のことで言えば、健康でありたいことと、中国の哲学思想を根とした太極拳、実践哲学に少しでも触れたいという思いがありました。
最近では、気功から太極、太極拳としての拳の部分、武術としての方向について行けないものがあり、何故か相手と闘うということが、理解できずにおりました。
ある時、先生がたとえ 「強い相手でも自分は負けないように。意識を持って、私は負けない。」 と。
この言葉にはっとしました。
「これは私に生き方そのものだ。」 と。「負けないように。」これなら私もできるかも知れないと思いました。その時に出会ったのが、この語句でした。

太極拳論より抜粋

何かにひっかかり 、「陰と陽」 が分かっていなかったのだと思いました。 例えば、攬雀尾 (らんじゃくび)の動作で、(ぽん)、擠 (ち)と、中指先をつけ腕を弧にして流すとき、腰から展伸の感じ、で外側の陽の円、内側の陰の円は柔らかく合っている感じ、しかし上半身だけではなく、下半身の弧も、外側の陽 (円)も、内 側の陰 (円) も、できていないことに気付きました。今まで、自分は何も気付いていなかったと。それが少し分かってから、(りー)で流すときは、身体の内部では腰から陰陽のバランスのとれた状態で、手よりも一瞬先に腰の円運動が始まっていると、一つの動作の円が、次の動作の円にスムーズにつながるような感じでした。
この内部の動きは外からは分からないかもしれませんが、自分は腰、足、この円を作って、手の動作につなげてゆく。その時に、我獨知人、人不知我。
この動作の時の感覚は、少し、このことであるのかもしれないと思いました。
この差は、ほんの微妙なものでした。
全て、原因は相手だけではなく自分の中にもあり、遠くではなく足元にあったことを痛感しました。練功、套路、推手の練習を積み重ね、結果として自分に負けないように意識を持ち、究極は 「捨己従人」、「粘走統一」 に少しでも近づきたいと思っております。
『太極拳論』 の奥深さに触れ、生きることの中で健康は大変重要な手段ではあるけれども、それだけではないことを知る、とても良い機会でした。

表演-太極108式から表演-太極108式から

太極108式から


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