会報
会報第28号———2019年3月21日発行


交流活動


「型と身体の自由な動きについて」

神谷 一博

「太極拳と化勁、そして無極静功」

川上 裕之


交流活動

樹林練功会

 今年上半期の樹林練功会は 4 月 7 日(日)、5 月 19 日(日)、6 月 2 日(日)(暫定)の各日 10:30 ~ 11:30 代々木公園中央広場で開催します。

集中講座

 5 月 2 日(木) ~ 5 月 18 日(土) 都内の各会場で開催する予定です。

集中練習

 今までは合宿の形式で行っていましたが、今年は 5 月 4 日(土) ~ 5 日 (日)に日帰りの形式で国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催する予定です。


「型と身体の自由な動きについて」

本部木曜日 中級Ⅱ108式
神谷 一博


神谷一博さん

 無極静功を学び始めたのは1998年2月9日。いまはなき明大前の本部教室で、「体験」として初参加してから20年を超えました。 「もう」と「まだ」の両方の感慨があります。
 練功の基本は、無極静功として確立され伝えられてきた套路を精確に学び精確に修徳することであることは言うまでもありませんが、長く薛永斌先生の教えをいただく中で、 身体の動かし方・扱い方、身体に関して多くの気づきをいただきました。

 套路は、そのほぼすべてがふだんの生活ではしない動きや姿勢で構成されています。
 たとえば、太極24式の「十字単鞭」。両手を左右に大きく広げるという単純な動きでも、ふだんすることはまずありません。 頭の位置、両手の高さや角度、足の位置、膝の曲げ方、目線、全体の姿勢などについてきめ細かいチェックポイントなど套路を学ばない限り意識することさえないでしょう。
 医師やスポーツのコーチなどは、ふだん使わない身体の部位や筋肉を意識して使うことが健康づくりに役立つと言います。 全身の筋肉を増やすことになり、基礎代謝が大きくなる、血流がよくなる、身体の柔軟性が養えるなどが理由です。実感としても納得できます。

 見方を変えると、私たちはふだん、身体をごく一部しか使っていないことに気づかされます。 ふつうに生活しているとき、私たちの動きや姿勢はほとんど決まり切ったものになっています。 無意識のうちに、動きや姿勢がきわめて制限されたものとなっている。見えない狭い枠の中で動いているようなものです。
 套路を学ぶことは、そういう枠を壊すきっかけになります。身体をより自由に動かす方法を知り、身につけることにもなります。
 すでに完成している型のとおりに動く、型どおりの姿勢をとるということは、一見、窮屈な印象がありますが、実際は、無意識にでき上がってしまった身体の枠組みを壊し、 より自由に動ける身体への道を開いてくれるものと考えるようになりました。
 最初のころ、十二法の「托天昇陽法」で腕をまっすぐ頭上にあげたときの、伸び伸びと気持ちよく解放されたような感覚を記憶しています。
 套路は、さらにその先、つまり、枠にとらわれずに身体をより自由に扱う導き手だとも言えるのではないでしょうか。

 練功を重ねるうちに、体の動きや姿勢、状態に対する意識や感覚がしだいに変わってきたことも感じています。
 自分の体の動きや状態に意識的なりました。教室で練功しているときはもちろん、ふだん歩いているとき、電車に乗っているとき、デスクワークをしているときなど、 自分の体がどうなっているかに意識が行きます。
 姿勢はどうか、足の動きはどうか、軸はまっすぐに立っているか、腕はどう動いているか、身体のどの筋肉を使っているかなどなど、 日常的な姿勢や動きやその変化を点検するのが習慣になっています。

 このようにして練功を重ねる中で、身体の動きはしだいに自由さを増していきますが、そのことは、一方で、身体の不自由さに気づかされることにもなります。
 手の動きができるようになったら足の動きがお留守になっていることに気づく。
 足が思い通りに動くようになったら、腰の動きの不十分さに気づく。
 ……というようなことです。
 不自由さから自由さが生まれ、自由さが新たな不自由さを生む。自由と不自由は相反するものではなく、変化しながら互いに関係し協調しながら身体を育ててくれるものらしい。
 自由と不自由とのいたちごっこ、堂々巡りにゴールはなく、いつまでも行ったり来たり、進んだり退いたりを繰り返す。互いのバランスも絶えず変化する。 そこにこそ練功のおもしろさ、楽しさを感じています。年をとって身体に多少ガタがきてはいても、むしろ、お楽しみはこれからだ、と。
 となれば、私の修行の年月は、「もう」ではなく、「まだ、まだ」ということになるのです。

仕事場にて

<仕事場にて>


【コメント】
自由な動きとはどういうものか、それをどう実現するかについて、 神谷さんは練功を日常生活の様々な活動と結びつけ、絶えず探究していることは、 無極静功を日々活用しているということで素晴らしいと思います。
神谷さんが自身の身体が持つ可能性を追求するということに私は深い感銘を受け、嬉しかったです。

薛 永斌


「太極拳と化勁、そして無極静功」

NHK文化センター千葉教室 講師
川上 裕之


川上裕之さん

 小学生の時、同級生のS君が見せてくれた少年誌に、ある空手家に付いての特集記事が組まれていました。
その空手家はとても強くて、世界中の武術家や格闘家と闘って、負け知らずだったそうです。ただ、唯一香港で手合わせをした小柄な老人にだけは勝てなかったと書かれていました。 S君は「これはタイキョクケンだよ。」と教えてくれました。
「ひ弱な者が武術を習うとしたら、この老人の太極拳のようなのでなければ。」と小学生の私は思いました。

  その後、武術家や研究家の方々により、太極拳その他の中国武術が、日本に紹介されるようになって来ました。
「例の老人も化勁(かけい)ができていたんだろうなあ」と、その頃には想像できるようになっていました。 化勁とは一言で言えば、相手の力、攻撃をコントロール、或いは無力化する勁(けい)です。勁に付いてはいろいろな説明がなされるのですが、共通するのは、 「内功を培うことで整った身体によって、物理的な力と気が融合されたもの」といったところでしょうか。 たとえ相手のパワーが強くても、それを化勁によって無力化できれば、こちらは大丈夫です。最も化勁を大切にする武術が太極拳だという言い方もよくされます。 太極拳論に言う、四両撥千斤(とても小さな力で巨大な力をはじく)も化勁があればこそだと思います。

 私自身は化勁という言葉を時々思い出しながら、学生時代そして、社会人になってからも、太極拳はもちろん、武術や武道、ヨガ、気功、呼吸法、坐禅、瞑想等を習いました。 それぞれ良い先生方から学ぶことができたのですが、もっと自分にしっくりと来る、自分にとって究極のものがあるに違いないと思い、ずっと探し続けていました。
 そして、ようやく1988年に無極静功に出会い、薛先生のご指導を受けることができるようになりました。化勁に付いては当初から説明を受けたり、実際に使われるのを見せて頂きました。

 97年には、薛先生のビデオ撮影のお供をさせて頂きました。
武術専門誌の出版社から発刊されるビデオで、「太極拳の套路を練習する人は多いが、用法や勁について理解している人は少ないので、それを薛先生に実演を交えて解説して頂こう」という趣旨の企画でした。
ビデオでは、化勁も取り上げられ、特に三種類の勁に付いて先生が説明されました。

 螺旋勁: 螺旋状に回転する勁。
 抽糸勁: 蚕の繭から糸を引き出すような勁。軽く引っ張って空間に伸ばす。軽くて円の形。
 纏糸勁: 多方向の抽糸勁。その中には螺旋勁の形も含まれている。

これら三つの勁はどれが一番良いとは言えない。どれか一つの勁をマスターして確実に身に着ければ、かなりのレベルに達する。
以上のようなお話しに続き、解説しながら実演もなさいました。
(尚、ここで説明のあった螺旋勁に相当する勁を纏糸勁と呼ぶ流派もありますが、無極静功ではこの二つの勁を明確に区別しています。)

 撮影の間、ずっと先生の解説をお聞きし、じっと先生の動きを見続け、推手、散手のお相手も務めさせて頂きました。
 そうこうするうち、化勁が分かるような、そして、できるような気がして来たのです。 それまでの9年程の間、習い、練功してきたものが、遅まきながら、丁度、熟成して来た時期だったのかもしれません。 そして次の教室の時、無謀にも「化勁ができるようになったような気がします。」と先生に言ってしまったのです。
「では、やってみて下さい。」と言われ、先生との推手の形で皆さんの前で実演することになりました。
「これが抽糸勁です。」
「これが螺旋勁です。」
「纏糸勁はまだ良く分からないんですが、こんな感じでしょうか?」
と三つの勁の違いを表現しようと試みました。 すると、先生は「抽糸勁と螺旋勁は出来ています。」と言って下さいました。
教室の皆さんからは拍手まで頂いてしまいました。

 それ以降だんだんと、套路や推手の中でも、具体的に勁に付いて考えたり、運用したりできるようになって来ました。
 「これらの勁がもっと育って、精妙なものになって行けば、いつかあの老人のように、パワフルでスピードもある相手を翻弄することができるようになるかもしれない。 ( 無極静功の ) 纏糸勁もいつかはできるようになるかもしれない。
でも焦らず、じっくり練功を続けて行こう。」と思いました。

実際に、推手や散手に応用し始めた頃は抽糸勁の方が使い易いように感じました。相手の勁、或いは力に柔らかく合わせて行けば良いので、 「捨己従人(自分の思惑に捉われず、相手の出方、あり様に、臨機応変に合わせて行く)」の精神と矛盾しないのです。それに対し、螺旋勁はつい作為的な動きになりがちでした。
この螺旋勁の使い方と、纏糸勁に付いては、混み入った内容になるので、別の機会に改めて述べさせて頂こうと思います。

 それよりも、つい最近やったばかりの実験で、おもしろい結果が出たので、お話ししておこうと思います。
 合気道や大東流の「合気」を化勁や発勁と関連付けて説明しようとする方々がいらっしゃいます。勁や化勁をより深く理解するために、合気関連の書籍も参考になるかも知れません。
 最近読んだものの中に、物理学者の保江邦夫氏の著書がありました。自らも合気道他の武道を修業され、大東流の佐川幸義氏にも師事され、筋電計を使って「合気」を解明しようと試みたりと、 異色の大学教授です。
 保江氏によれば、「諸手取り合気上げ」という技があり、これは「合気」を体現する合気道家にしかできないと考えられてきた。筋力、体力だけでは難しい常識的には不可能な返し技で、 「合気」を体現することができる者の数が決して多くはないため、ほとんどの道場においてはこの技を稽古することはない。 真に「合気」を身につけているか否かを検証するための最適な手段となるとのことです。
 この「諸手取り合気上げ」を勁、或いは化勁でできないものか、実験してみたいと思い立ちました。
 先日の土曜日、本部の教室で、昼休憩の時に残っている方々にご協力をお願いしました。 先ず、自分は正座をして、床の上に置いた片腕を相手の方に体重を乗せるように両手で押さえ込んで貰います。その片腕を持ち上げることができるか、という検証方法です。
 体重を掛けられた瞬間、確かに「絶対不可能!」という感じがしました。しかし、やってみるとフッと持ち上がり、相手を立たせる所まで出来てしまいました。 推手と同じで、相手の中心を捉えればできるように思います。
 二人掛りで両腕を押さえて貰ったり、三人目の方に肩を押さえて貰ったりしたのですが、それもクリア出来ました。
 「意外と出来るもんですねえ。」などと、話し合っていたところ、他の男性同士で片腕の実験をやってみると、結構できるのです。 また、この時、小柄で本当に華奢な女性がいらっしゃったのですが、何とその方も挑戦して、できてしまったのです。 片腕を男性に両手で押さえ込まれ、最初はやはり「絶対無理だ」という先入観が邪魔をしたのでしょうか、上がらなかったのですが、再度やってみると綺麗に上がったのです。驚きです。
 大部分の方は他の武術流派との交流の経験が無いので、あまり自覚されていないようですが、十年、二十年と熱心に練功を続けていらっしゃるので、 知らず知らず、内功も相当のレベルにまで培われて来ているのでしょう。やはり、さすが無極静功だなあと思いました。何よりも、薛先生の御教えの賜物です。
 無極静功を練功する、女性も含む皆さんが次々と、冒頭のあの老人のレベルに達し、更には超えて行くことを 今、私は夢想しています。

川上裕之さん 東洋医学、アーユルベーダ等に付いてホワイトボード前で

【コメント】
1988 年に無極静功を始められてから 30 年以上も、しかも絶えず 研究熱心で、川上さんの並ではないご努力にいつも感心しています。
私も皆さんと同様にこれからの川上さんの研究レポートに期待し、 楽しみにしております。

薛 永斌





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