会報
会報第16号―――2001年9月20日発行


ことば「中定」


薛永斌

交流会

「無極静功第17回交流会 −『にこにこクラブ出場始末記』−」

大村雅枝

「無極静功入門」

川上正敬


ことば

薛永斌

中定[zhongding];太極拳を行うときの、その位置と進行方向の関係は、前進、後退、左顧(さこ)、右_(うはん)、そして中定(ちゅうてい)と説明されています。
従来の武術と違い、太極拳は前進と後退の単純な直線の動きだけでなく、自分の左右に、また相手の両側にも、動きを展開させます。
それが、いわゆる左顧と右_です。
前進、後退、左顧、右_の本質は、太極拳の空間の特徴は円であることに基づいています。
その核心は中定です。円運動の円心、つまり動きの軸のような働きをします。
“中”とは中心と軸を形成させること。
“定”とは安定の状態、すなわちバランスの状態を意味します。
自分の套路練習でも、また相手との推手練習においても、中定の状態を常に保たなければなりません。

夏合宿(2001.7.21〜22御岳山)

夏合宿(2001.7.21〜22御岳山)


交流会

第17回交流会は5月12日(土)午後、新宿角筈センターホールで行われ、18グループが練功表演をしました。豊富な表演内容、かなり工夫された動作の構成、色とりどりな服装、気合の入った各グループの表演は2年前の第13回交流会より鮮やかで成熟し、全参加者を魅了。充実した楽しい交流のひとときを過ごしました。
2年後の2003年春の第21回交流会には第3回表演会が行われる予定ですが、各グループの表演はもっと成熟し、洗練したものになることを期待しています。

「無極静功第17回交流会 −『にこにこクラブ出場始末記』−」

大村雅枝さんにこにこクラブ
大村雅枝

出場を決める

今年5月12日の交流会は各教室の表演となりましたが、まず出場のための5人が揃うかどうかが問題でした。
「この前楽しかったから、また出ましょうよ」
「あの時の7人で、また、ぜひ出たいわね。でも、今3人休んでいるし、誰か1人でも出て来てくれないと5人にならないのよ」
「電話して聞いてみたら。きっと出てくるわよ」
と、いとも簡単におっしゃる。さすが「にこにこクラブ」のメンバー、全然心配しない。
そこで、家庭の事情などでしばらくお休みしていた3人に電話したところ、3人共快く出場を承諾して下さいました。
良かった!まずは、第一関門突破。「前回、7色のシャツで出場した、レインボーカラーの7人、再び見参!」といくか、大空にかかる虹のように、それぞれの個性をもって輝く我等7人、今までの練習の成果を拙くとも精一杯表演しようと、出場へのスタートを切ったのです。

表演のテーマを決める

前回は12法の中から選んで表演したので、今回は太極24式をと思ったのですが、,練習不足だし、特訓をしても間に合いそうにありません。となれば、12法しかありません。何を選ぼうか、前と同じ様では面白くないし、少しでも変化をつける工夫はないものかと考えていたとき、陰陽開合法と托天覆地法は陰と陽がはっきり分かれていることに、また起落回転法は陰陽、太極の思想を良く表していることに気付き、そうだ、この三つを基本にして、テーマを「陰陽」として構成を考えてみようと決めました。

構成に悩む

練習を始めましたが、1人出てくると、他の1人が休むという具合で,なかなか全員が揃いません。ともかくも、休んでいた方には手取り足取りと言う具合で特訓をしました。始めは7人の予定が、6人ということになり、最初の構成では中央の1人を、左右の陰陽をつなぐ役割と考えていたので、これがなくなり、陰陽をつなぐにはどうしたらよいかを考えました。陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になるというから、陰と陽の時間をずらして陰が極まったとき陽が始まるようにしようと思いました。陰陽開合法と托天覆地法はこれでいくことにし、起落回転法は両端の2人は左右対称に、中央の2人は左右をつなぐような動きをといろいろ考え、白鶴展しの時間差のある動きにしましたが、なかなか起落回転法と合わせるのが難しいのです。皆で、3回づつにした方がよい、もっとゆっくりしてとか練習しながら決めていきました。

衣装を考える

陰陽を表すのですからTシャツも2色とし、中央の2人は2色にするため、鋏や針と糸を教室に持ち寄って、上に着るTシャツをジョキジョキと斜めに切り、色違いの下のシャツにとじ付けました。「これで陰陽の太極マークをイメージしたとわかるかしら・・・」「大丈夫よ、わかる、わかる。」と相変わらず楽天的です。

思いがけず入賞

にこにこクラブの表演いよいよ当日、プログラムを見るとやはり12法だけのところは少ない。太極24式、推手、定歩や活歩など様々な組み合わせが見られる。どの教室も2年前より進んでいるのだと思いました。
各教室それぞれに構成を考え、衣装も工夫を凝らしています。はなやかで楽しいもの、地味だけれど整斉としたものを感じさせるもの、どんどん進んでいきます。
そして本番。もうやるしかない。後はメンバー各自が前や横に合わせながらやってくれるだろうと信じていました。指導員よりメンバーの方が落ち着いているというのが「にこにこクラブ」なのですから。表演はあっという間に終わりました。
プログラムは、太極108式、定活歩単推手、定活歩双推手、活歩托天掌など多彩な内容で進み、予定通り終りました。
そして今回始めての投票。共同練習で落ち着いた後、集計係りの皆さんの手際よい働きで結果の発表です。そして入賞。メンバーは皆、賞に入ることは意識も、期待もしていなかったのですが、やはり入賞と聞いたときは思わずにっこり、笑顔をかわしました。

今後の課題

思いがけない入賞でしたが、先生の御講評にあるようにこれはけっして内容の高さによる入賞ではなく、意外性によるものだということをしっかりと心に刻み、これで良しとせず、気持ちを引き締めて練功し、内容を高めて行かなければならないと思っています。

(にこにこクラブ)


「無極静功入門」

川上正敬さん本部月曜日午後初級教室
川上正敬

私が無極静功に入門したのは昨年の11月、まだ9ヶ月ほどです。このような初心者が無極静功についていったい何を語れるか?無謀に思えますが自己紹介を交えて、この短い期間に感じたことを書いてみようと思います。

私は小さいときから絵を描くことと生き物が好きでした。6年前にそれまで勤めていたソフトウェアの会社を辞め、現在、絵と野鳥に関する仕事をしています。鳥を見に行くための山登りは好きですが、それ以外のスポーツは興味がありませんでした。よりによって武術を始めるなんて最も驚いているのは自分自身かもしれません。

インターネットで…

教室に通うようになったきっかけは友人の武術の話から、なんとなくインターネットで武術関連のホームページを見ているうち無極静功に出会いました。その時、「あっ! これだ。」という感覚が頭に突き刺さる感じがしたのです。翌日、その直感は明大前の教室を訪れることで確かなものになりました。
一ヶ月ほどすると下げている腕が動き始め、そのうち腰が動き始めました。自発動功? 偏差? 中途半端な知識だけが先走り、少しの恐怖と感動に襲われました。先生にそれは初心者に起こりがちなこと、強く意識せず平常心で過ごすよう教わりました。
電車の中でも腕や腰が突如として動き始める私の姿に妻は驚くやらおかしいやら……その怪しい動き、変な人に間違えられてもしょうがないと笑っていたのですが、そんな妻も現在一緒に教室に通っています。

絵を描くこと

その後も今までにない様々な感じ方を体験しました。このことは私に頭、手、足、腰、胸、体重……当たり前すぎて意識の仕様もない自分の体を強く意識させることになりました。そして、絵を描くことについて深く考えさせてくれました。
たとえば、美しい花に感動し絵を描く。しかし時間が経つにつれ最初の新鮮な感動は変化してしまう。最初の感動を忘れないようにできないものか? などと考えていました。
しかし、私が感動と呼んでいたものは、その美しい花が心の表面に起こした波紋なのではないか。本当はその花に波打つような心そのものを描きたいと思うようになりました。自分の心はあまりに当たり前な存在なので、あらためて意識するのは難しいけれども無極静功にはそのための何かがある予感がします。無極静功と絵の共通点をたくさん感じます。

全体を把握する

先日、先生に正しい姿勢、特に腰について尋ねたところ、腰だけが正しい形ということはあり得ない、腰は全身の一部であり正しい姿勢が出来たということは背筋がすっと伸び、頭が上方に引っ張られるような、全身的な内部的感覚が生じることなのだと教わりました。
たとえば、人物を描くとき、目を描こうとしたら目だけに焦点を合わせて描いてはいけない。顔の中の、全身の中の、そしてその人の存在する空間の中の目として意識しなければ《私の見た》目は描けない。また、《正確》に描こうとすればするほど絵は正確さから遠のいていく。人は無意識を含めて、物事を全体的に把握しているのに《何か》を意識した途端、それ以外に感じていることを失ってしまう。とらわれを捨て、全体を把握する感覚は同じものだと感じます。
正しい姿勢は心地良い、美しい形にはパワーがある……という先生の教えは、とても興味深いものです。科学の真、宗教の善、芸術の美、技術の用、すべての人の営みは幸福を得るためのもの。本当の心地良さを追求すると、それは宇宙のリズム、律のようなものと一体になる。それは真実を得ることであり幸福を得ることだと思うのです。無極静功の心地良さの追求は芸術的行為そのものだと感じるのですがいかがでしょうか。
私が本格的に絵の勉強を始めたのは十数年前のこと、寝食を忘れるほど毎日、絵を描き続けました。絵画の3要素、形、調子、ヴァルールを理解すれば思い通りに絵が描ける、まさに絵画の世界のゴールにたどり着くことを夢見て……。
ところがその3要素がある程度分かってくると……私は10年かかりましたが……それはゴールではありませんでした。遥か地平線の彼方に絵画の世界への門が見えただけでした。リアルに描くことは技術ではなく、ある意識の状態を獲得することだろうと思います。

その意識とは、見たものをありのままに受け入れること、即ちありのままの自分を受け入れること。そしてそれは宇宙の律へ、即ち真実へとつながっていくものだろうと思います。とても難しいことですが無極静功と絵の二本立てで挑戦できそうな予感がします。
10年後位には、無極静功への門が見えることを夢見て……来週も教室に行くのが楽しみです。


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