会報
会報第11号―――1999年3月1日発行


ことば「円」


薛永斌

交流会

「気功と私」

星野千恵子

「王宗岳太極拳論 ―― 「捨己従人」考」

青木登喜夫

「玉城康四郎先生を偲ぶ」

薛永斌


ことば

薛永斌

太極拳と気功の特徴は"円"です。ほかのいろいろな武術、体操などと違い、"円"で姿勢を纏め、曲線で動作を展開させます。
宇宙では、星のように大きな物体から、分子、原子のような極小の物質に至るまで、形は円であり、運行の軌道は曲線です。
形として、円は空間的に大きく、強く、かつ安定しており、自己を守るために最適なかたちを持っています。また、曲線は活発で、あらゆるものの運動の自然の流れです。
養生法としての気功法、健康法や武術としての太極拳が優れているのは、この特徴を持っているからだといえるでしょう。

春合宿/2000.4.15-16

行歩法(11月7日午後/戸山公園にて)


交流会

第12回交流会は昨年の11月7日午後1時半から4時まで新宿スポーツセンターで行われました。帯津三敬病院院長帯津良一先生は「ホリスティック医学の現場から(2)」をテーマに講演されました。


交流会での講演

講演される帯津先生(11月7日/新宿スポーツセンター)


気功と私

星野千恵子さん神奈川県秦野市
星野千恵子

私が気功をはじめたのは、今から五〜六年前で、二度目の練功が終わって見た外の景色が穏やかに目に映り、不安でザワーとしていた気持ちがフッと消えたからです。この不思議がきっかけとなって、今に続いています。
小さな頃から不安定な所の多かった私は、今思えば体も、その使い方も不安定でした。でもそれは本人には解るはずもなく、大人になって、長年の生活習慣から具合の良くなかった腰を、二年前にはどんな風に歩いていたのか解らない程に痛めてしまいました。そうなるまではなぜかきっと治ると信じ込んでいたので、歩けなくという現実に気が付いた時は、体がどうなってゆくのか不安で、動けないので気晴らしもできず、他人と話をすることができなくなるのはあっという間のことでした。
そんな状態がしばらく続いてから、いくらか気をとり直し、明大前のお教室に行こうと思うようになり、薛先生にみていただくことができました。太極二十四式と行歩法を直していただき、すっかり乱れて上ってしまった気が少しずつ整っていきました。はじめは人混みが恐く、娘に同行してもらったのですが、月に一度通い、六ヶ月経つうちに一人で行けるほど、気持も体もしっかりしてゆきました。その間の家族や友人の暖かいサポートの数々は、私をとても落ち着かせてくれました。

太極二十四式と行歩法を続けて、先生に勧められた指圧に月一回ほど通ううちに、足、腕、背中のあたりを自然に伸ばしたくなったきてはじめて、今まで伸びをして来なかったらしいことに気が付きました。「バランスをとって伸びをすれば、だいじょうぶですよ。伸びたいというのはいいことなんです。」すべり症もあって、伸びなどしないように病院で言われていた私は、先生のこの言葉にちょっと驚きました。バランスというのが先生の「キーワード」で、とても難しいと思いましたが、それ以上に体の要求があり、恐る恐るはじめ、その気持ち良さに、無理のないように、毎日続けるようになりました。

そして気功をお休みしてから七ヶ月後の去年の二月、改めて相模原のお教室に通いはじめました。一ヶ月ほど経って、「私、今まで何してたんだろう。」と感じるようになりました。中心とか、バランスとか、頭でしか解っていなかったことに気付いてきたのです。はじめは站とう功、運気法、順気法は辛かったのですが、起落回転法で背すじがピンと伸ばされるようになり、首の位置まで直されるようで、だんだんに体が起きて来ました。行歩法も気持が良くなり、腰を使って上半身を起こし、少しずつ足先から腰まで使って歩けるようになってきました。足を運ぶ感じが今までとはずいぶん違います。体がそれなりの順序で組み立て直されるように変化してきました。今では練功の時に、腰や足と上半身とが呼応するように動くのを感じる時があります。

最近、体は私が考えている以上に深い所で、自分を知っているのではないかと思います。今まで何だかゴチャゴチャ好き勝手にいた、幾つかの自分が、やっと一人にまとまったという感じがあり、ずいぶん楽になりました。振幅ばかりが大きくて、その中心を捉えていなかったとでも言うのでしょうか。ロープウェイなど見るのもいやだった私が、その中から思わず谷底を覗き込んで、長い間かなり平気でいられたのは、こんな体の変化と無関係ではないように思っています。
けれども、今でも呼吸を意識すると、簡単に肩から固まってしまいます。これは、私の一番弱い所だと思います。かと思うと、精神的にまいっていた時に思わず吐いた息と一緒に、私がおなかに居たということもありました。これにはとても助けられました。何かのはずみでそうなったようです。
これからはこれが練功の確かな賜物となり、体を大切にして、思いばかりを凝らすことなく、少しずつ肩から力がぬけてゆくといいと願っています。


太極拳論 ― 「捨己従人」 考

東谷恵子さん埼玉県所沢市
青木登喜夫

これを、そのまま解釈すれば「自分を捨てて人(相手) に従う」という意味だが、太極拳の真髄を示している言葉だと考えるので、未熟ながら愚見を述べてみたい。

この言葉は、いろいろの言い換えることが可能だと思う。太極拳用語なら「五陰五陽」「剛柔相済」など、仏教用語では「自他一如」などが考えられる。このような言い換えが、可能とするなら「捨己従人」を改めて見直した時、人間性の根源に触れる、非常に深い味わいを、感じることの出来る言葉だと思う。

太極論として考えたとき「自分を捨てる」とは、どういう事なのか、一か八かで、相手の懐に飛び込む事なのであろうか、私は「勝ちたい、勝ちたい、という気持ち(自我)を捨てなさい」という意味に解釈したい。
套路や気功を行うとき、自分では力を抜いているつもりでも(実は、どこかに力が入ってしまっているのだが)推手などを行うと、つい、力が入ってしまう。頭の中で理解しているつもりでも、力を抜く事が出来ない。危険のほとんどない練習でも、いつの間にか、リキんでしまう。まして実戦ともなれば、何としても勝ちたい一心から、力と力のぶつかり合いにならざるを得なくなる。これでは太極拳論で戒めているように、力の有る者が勝つ事になる。力の無い者がどうしたら勝てるのか、その方法を示しているのが、この太極論であり、その真髄としての「捨己従人」だと考える。

謙虚な気持ちで、日々の練功を積み重ねる事で、内気は充実し、活き活きと躍動してくる。静中動、動中静、余る物も無く、足りない処も無い。執われの無い、宇宙と一体化した感覚を示しているのが、この言葉だと思う。
そうしたレベルに達したなら、たとえ自分が背勢であったとしても、相手と一体化した、緩急自在の動きの中で、実を避け、虚を突き、全く自然に自分の有利な体勢に導いてゆける。
その時自分は「ああしょう」「こうしょう」などとは、少しも思わない。そのため、相手は抵抗する事が不可能な状態に陥ってしまう。いわゆる、気が付いたら相手は倒れていた、という状態である。

正に「煉神還虚」の悟りの域とも言うべき、最高のレベルを示している言葉であろう。その心境に達した時は、おそらく道端の小石ひとつ、草木の1本に至る迄、生命を感じ取り、その存在を認める心になるはずである。それこそ 「自他一如」であり、敵も味方も無い、争いの無い世界が現れてくると思う。

玉城康四郎先生を偲ぶ

薛永斌

東京大学名誉教授 玉城康四郎(たまき こうしろう)先生が1月14日、肺炎で亡くなられました。享年83歳。
1989年春、当時目黒区駒場に住んでいた私は、毎朝近くの駒場野公園で練功していました。ある日、玉城先生と日本大学芸術学部教授の北島照明先生が来訪され、薄明かりの静かな樹林の中、三人で無極静功を練功しました。その後も、駒場野公園で2回、一緒に練功を行いました。
のちに、玉城先生は無極静功にご興味をお持ちになり、その年の夏から約二ヶ月の間、当時の日本気功協会・無極静功・目黒教室に通われました。
私は先生のお人柄と学識、、特に純粋な求道心に惹かれ、ぜひ無極静功第1回交流会の講師にと思い、93年春、麗澤大学教授小田川方子先生を通じて玉城先生にお願いしました。
「気功と禅定」というテーマで行われた交流会の講演は、知性と情熱に溢れ、会場全体を沸かせました。
また、94年秋、拙著「養生気功法」出版の時には、先生のご好意によって、講演の抄録を巻末に掲載させていただきました。

第1回交流会の後は、残念ながらお会いする機会はありませんでしたが、いつかまた講演の依頼が出来ることを念じていました。しかし、それは叶いませんでした。

玉城先生のご冥福をお祈り申し上げます。


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